くまお、ベネツィアに行く の巻
くまおです。
ハンブルクから帰ってきて1週間後、今度はイタリアで本番があり行ってきました。人生初イタリア🇮🇹
イタリア北東部の田舎町に滞在していたのですが、少しだけ時間があったので電車で1時間もかからないベネツィアまで足を伸ばせて本当に嬉しかったです。
ハンブルクはベネツィアに橋の数では勝ってるらしいが果たして…??
電車でベネツィアに行く場合、サンタルチア駅で降ります。
駅を出るとすぐにベネツィアの象徴 カナル・グランデ大運河が見えて大興奮でした!
カナル・グランデ大運河、とネットにはよく書いてありますが、カナル(運河)・グランデ(英語のグランド)だけでもう大運河なのでは?カナル・グランデ大運河って 頭痛が痛い とおなじにおいのする言葉です。
ま、いいや。
サンマルコ広場まで歩こうと思って、Googleマップ片手に適当にぶらぶらしてたのですが、道や運河がかなり入り組んでいて、地図ではあるべきところに道がなかったり橋がなかったり…とかなり大変でした。
けれどどこを切り取っても歴史的で綺麗です。
お昼は一緒に行った友達とイタリアン…ドイツでは高くてあまり食べられない魚を摂取してきました。
イカスミパスタ。大昔に親戚とごはんを食べたとき、イカスミパスタを食べた父の歯が真っ黒になって怖かったトラウマがあるのですが、こんなに美味しいとは知らなかったです。
世界一美しいと言われるサンマルコ広場とサンマルコ寺院。
とにかくすごい人、そしてすごい鳥でした。
寺院の中も本当は入りたかったけど、長蛇の列で断念。
広場から近くの嘆きの橋、そして反対側には地中海…!ひさびさに海を見ました。
つづく
くまお、ハンブルクに行くの巻
くまおです。
マンハイムは春の兆しが見えてきました。朝晩はまだ冷え込みますが、そろそろガチ冬コートは卒業かな?という感じです。
先々週から学校が始まりました。新学期!授業の組み立てや前学期の成績などでバタバタしています。
3月20日から25日まで、ドイツ第二の都市でエルベ川の支流・アルスター川の河口にある港湾都市、ハンブルクに行ってきました。くまお 史上最も北への旅でした。
街の至る所に運河があり、なんでも運河に架かる橋の数はベネツィアより多いらしい(ハンブルクの人の自慢ポイント)。
ハンブルクでは本番があり行ったのですか、練習の合間や本番後の時間を使って色々行けて良かったです。
尖塔で有名な市庁舎(Rathaus/ラットハウス)。
市庁舎近くのユンクフェルンシュティーグ(Jungfernstieg)の桟橋。遊覧船が運航しています。
市庁舎から歩くこと15分ほどで着く、倉庫街(Speicherstadt/シュパイヒャーシュタット)も綺麗でした。
ハンブルクと言えば、ブラームスの生まれ故郷。戦争?か何かによって生家は焼失してしまったそうですが、家があったとされる場所の近くに博物館がありました。
残念ながら以前展示されていたピアノは5月まで修理中らしいです。
建物には、同じくハンブルクに所縁のある作曲家、メンデルスゾーンやエマニュエル・バッハ(バッハの息子)、マーラーに関する展示もありました。
ブラームスのところでピアノを見れなかった代わりに、ハンブルク中央駅に近い美術工芸博物館(Museum für Kunst und Gewerbe)の膨大な古楽器のコレクションも見てきました。鍵盤楽器だけでも50台はあったのでは?というくらい多かったです。大学時代に古楽器にはまったオタクとしては鼻血出そうでした。昔は楽器は調度品の役割も担っていたため、蓋の内側や側面に絵が描かれているものも。
日曜は1日フリーだったので、ドイツの快速電車REで1時間くらいのシュターデ(Stade)という街に行ってみました。
木組みの家が可愛らしい、おしゃれな田舎町でした。レンガ倉庫を改装した街の博物館やゆったりとくつろげるカフェもあり、散歩にもってこいです。
天気も日曜は本当に良かった…!ハンブルクは曇りが多いらしく、日曜以外はほぼ毎日どんよりしていたのですが運が良かったです。運河だけに。
ちなみに期間中、日本の大学の後輩が偶然ハンブルクに来ていて、先生と相談する時の通訳を急遽頼まれてしまいました。くまおの通訳デビュー!でしたが、同時通訳には程遠い出来……口では日本語を話しながら耳でドイツ語を聴き取るって離れ業です。先生に文章ごとに時間を取ってもらわないと、正確に訳せませんでした。
つづく
くまお、ウィーン旅 その③ 食べ物の巻
くまおです。
今回は観光が第一目的ではないので、節約しようと思ってたのに、色々見返してみるとそれなりにたくさん食べてしまっていました。
スーパーとかで適当に安く済ませた日も多かったはずなのに…意外と行ってしまった。これ絶対太ったやつだ。マンハイム帰ったら粗食生活だな…
ウィーンはステキなカフェがいたるところにあり、これまでコーヒーをあまり飲まなかった私も美味しさを見出せるようになりました(?)。また、ドイツ料理とオーストリア料理は似ているようで違う部分も多いです(じゃがいもと肉が中心なのは変わらない)。
☆Gerstner
ハプスブルク家御用達の菓子店Gerstner(ゲルストナー)。19世紀から続く老舗のお店です。
シシィ(オーストリア皇帝フランツヨーゼフ1世の妻エリザベートの愛称)が愛したと言われるスミレの花の菓子で有名です(写真撮るの忘れました。店内で試食ができます…)。
内装がとっても可愛い…。本店は別にあるようですが、国立歌劇場前のお店は特に美しいらしいです。2階がカフェ、1階がお店になっています。
☆Gigerl
友人にウィーンの地元民に人気らしいホイリゲ、Gigerl(ギゲル)に連れてきてもらいました。普段は満席になることもしばしばらしいのですが、この日はなぜか空いていました。
本場のウィンナーシュニッツェル(Wiener Schnitzel)!
ドイツでもシュニッツェル ウィーンナーアルト(Schnitzel Wiener Art/ウィーン風シュニッツェルの意)は食べられるのですが、この2つ名前はそっくりなのに実は別物です。
オーストリアのウィンナーシュニッツェルは仔牛。ドイツのシュニッツェル ウィンナー アルトは豚です。
写真の左側がシュニッツェル(見えにくい)。パン粉をつけて両面を焼いた仔牛のカツレツです。サクサク。
右側はきのこのフライでした。これも美味しかった…。
デザートにはMarillenschmarren(マリレンシュマーレン)というアプリコットソースのパンケーキを食しました。
右側の小皿には追いマリレン。マリレンはドイツ語でアプリコットのことです。
ちなみに話は前後しますが、シュニッツェルには色々種類があり、きのこソースがかかったものイェーガーシュニッツェル(Jägerschnitzel/狩人のシュニッツェルの意)、シュニッツェルの間にハムとチーズが挟まったコルドンブルー (Coldon bleu)などなどあります。
こうして書いてるだけでハイカロリーな感じしますね…どうしよう。
☆Café museum
楽友協会や国立歌劇場からも行きやすいカフェでアプフェルシュトュルーデル (Apfelstrudel)を食べました。
バニラソースの海にアップルパイみたいなのが浮かんでおる。これもオーストリアを代表する名物です。
☆Hotel Sacher
有名すぎるホテルザッハー。コンサート前に友人とザハりに行きました。
手前がザッハートルテ(Sachertorte)。チョコレートでコーティングしたケーキの中はアプリコットのジャムが塗ってあります。横の生クリームは甘くないです。
奥はウィーンのコーヒーの代表格メランジェ(Melange)。温めたミルクとコーヒーを同量注いだコーヒーで、飲みやすい口当たりが特徴らしい。
テーブルにはザッハー家の家系図やホテルの歴史のパンフレットが…
ウィーンは都会で美味しいものだらけでした、本当に。マンハイムがほどよく田舎で美味しいレストランは考え込まないとないレベルでよかった。
あと驚いたことは、オーストリアのレストランでは、水道水は無料で提供されるということです。こちらでは日本のようにレストランに入ったらとりあえず水出てくるなんてことはまずありえません。水(ミネラルウォーター)はちゃんとお金を払わなきゃいけないのですが…。
私が知らなかっただけでドイツでもそうなのかな?Leitungswasser(ライトゥングス ヴァッサー)と言えば水道水がもらえます。おいちい。
つづく
くまお、ウィーン旅 その② コンサート巡りの巻
くまおです。
ウィーンで楽しみにしてたこと、2つ目はもちろんコンサートです!
さすが芸術の都、たくさんのコンサートホールがあります。正規の値段のチケットは手が届かないので、今回は裏技(というほど裏技でもない)ばかり使って3つのコンサートに行ってきました(もうちょっと行きたかった…)。
まず到着した初日に行ったウィーン国立歌劇場!(Wiener Staatsoper/読み方はウィーンナー シュターツオーパー)
国立歌劇場では、開場の80分前から立ち見席(Stehplatz/シュテープラッツ)が販売されます。普通に席を買うと普通に高いですが、立ち見席ならなんと3€か4€で買えちゃいます(舞台正面の一番後ろの立ち見席は4€。サイドのバルコニー部分の立ち見席は斜めに見えてしまう分安く、3€です)。
ギリギリまで予定が分からなくても、当日の気分でいきなり行こう!となっても大丈夫。
3枚目下方が、舞台正面側の立ち見席。
ご覧の通り歌劇場大きいし、満員になることはないだろうな〜と思って、立ち見席も余裕で入れるだろと思って行ったら、売り場が長蛇の列でびっくらこきました。普通の席でも売り切れだったそうです。
開演が19時だったのですが、念のため16時から行っててほんとに良かった。そして安定のお一人様だったので、優先的に前の方の席をもらえました。ディズニーランドのシングルライダー的な…。
美術館かな?ってくらい中も綺麗な歌劇場。
この日はプッチーニのトスカでした。後から友人の友人(声楽家)が、キャストが豪華で観に行って正解だと言っていたそうです。
立ち見席、後ろから見るとこんな感じ。バーとモニターが付いています。モニターには字幕が出るのですが、なんと日本語があります!!
ただ、安くて誰でも入れる立ち見席は、モラルのないお客さんが多いことも確かです。私の前にいた中国系の子供連れの家族は、はっきり言って最悪でした。笑。
やっぱりね、ちびっこは飽きるしね、お父さんお母さんも上演中に私語はね、ダメだよね。しかもお父さんなぜか私のバーに肩肘乗せてきて、後ろ振り返ったりしてきたので(感動しすぎて一人で号泣してるところ絶対見られた)、鬱陶しくて必死にガードしました。本気で注意しようかとおもった。
まぁ、その家族は案の定1幕で帰ったのでわーいって感じでした(^。^)
とにかくこの日のトスカは最高でした…😂
☆ウィーン楽友協会
ニューイヤーコンサートで有名な楽友協会(Wiener Musikverein/ウィーンナー ムジークフェライン)。実はたくさんのホールや資料館、出版社も同じ建物にあります。
今回は大ホールではなく小ホール、ブラームスザールでシューマンとブラームスの室内楽を聴きました。
ここでも出ましたブラームス。協会の会員で、楽友協会で自身の初演を行なったり指揮をした功績を称えて、ホールの名前になっているそうです。
楽友協会では普通のチケットの発売と同時に舞台が見えない席(keine Sicht zur Bühne/カイネ ジヒト ツア ビューネ)が破格の6€で販売されます。
が、私の座った席、なんと舞台が見えました(?)。遠いけど。
6年前、草津の音楽祭に参加した時、マスタークラスを持っていた方がこの日のピアニストで、なんだか懐かしくなりました。もう6年前…。
大ホールには予定が合わず結局入れませんでした。次があるなら、是非来たいです…。
☆コンツェルトハウス
ウィーン国立音大に通う元同級生と一緒にコンツェルトハウス(Konzerthaus)にも行きました。ちなみにこの隣にはウィーン国立音大のピアノ棟があるらしいです。
コンツェルトハウスでは、開演の30分前に売れ残っている席が一律12€で販売されます。
最初は小ホールの方でピアノのリサイタルを聴こうと思ったら売り切れで、大ホールのベートーヴェンのピアノ協奏曲の公演に来ました。
すごくいい席でした…たぶん周りのおばさまおじさまは正規の値段で買って入ってるんだと思います。ごめんなさい。ありがとう。
この日はオールベートーヴェンプログラム。音大の先生が指揮とソリストの一人二役をこなしていました(協奏曲ではピアノを弾きながらオケの指揮もしてた)。
毎日たくさんのコンサートが開かれていて気軽に行けるのは本当に素敵です…。そういえば私マンハイムのコンサートあんまり行ってないや(いつもハイデルベルクや近郊の街に行ってしまう)。帰ったら行こう…
つづく
くまお、ウィーン旅 その① 聖地巡礼 の巻
くまおです。
無事に(ではないかもしれないけれど)筆記試験を終え、学期休みに入りました!
そしてレッスンとコンサートのために、ウィーンに来ています。
一度は是非訪れたかったウィーン!
飛行機が苦手なくまおはマンハイムからはるばる7時間かけて電車でやってきました。
ウィーンでまずやりたかったこと、それは聖地巡礼!!
ウィーンには作曲家の住んだ家が点在しており、今では博物館になっています。レッスンと練習の合間を縫って6ヶ所巡ってきました。
学生割引がきくので大体のところは4€で入れるのが嬉しい限りです。
では長々とレポートします〜。
①モーツァルトの家
モーツァルトが1784年から1787年まで住んでいた家。ウィーンで十数回引っ越したと言われていますが、現存する家はここのみ。
モーツァルトが住んだ家の中で、一番家賃が高かったそうです。
モーツァルトとコンスタンツェの結婚式、そしてモーツァルトの葬儀が行われたシュテファン寺院の裏手にありました。
シュテファン寺院の中はこんな感じ。外は現在一部工事中でした。
外には馬車が(道に落ちてたうんこ思いっきり踏みました💩もにゅっとした)。
資料はほとんど全て写真撮影禁止…。
ここで書かれた「フィガロの結婚」や「魔笛」など、作品に関する展示や、それぞれの部屋が何に使われていたか等知ることができました。
なんとモーツァルトは犬と小鳥をペットとして飼っていたらしいです。さらに家の中は子供達や客人でいつも賑やか、わいわいしてたそう。
静けさを求めていたショパンなんかとは対照的な気がしますね。
②ヨハン・シュトラウスの家
ワルツ王・ヨハン シュトラウス2世が1863年から1870年まで妻と暮らした家。
「美しき青きドナウ」を作曲したと言われており、自筆譜の展示もありました。
また、使用していたピアノ(ベーゼンドルファー)とヴァイオリン(アマティ)も見られます。
こじんまりした博物館ですが、資料がすこく多かった!楽譜、手紙の数々。
シュトラウスは写真も多く残っています。結構イケメン。
なんとブラームスと一緒に撮ったものも…!(ブラームスが亡くなる3年前のものです)
本物はウィーン博物館所蔵で、レプリカですが絵画や彫刻もあります。ウィーンの人々に本当に愛されていたんだなぁとひしひしと感じました。
朝イチで行って、1時間半くらいじっくり見てたんだけれど、私以外のお客さん来なくて笑うしかなかった…受付のおじさんと仲良くなりました。笑
ハイドンが亡くなるまでの12年間を過ごした家。
オラトリオ「天地創造」や「四季」はここで作曲されました。「天地創造」は秋にドイツで聴いたなぁ。
65歳でこの家に引っ越したハイドン。
6:30に起床し、作曲をし、著名人の訪問に対応し…と規則正しい生活を送っていたようです。Tagesablauf (1日の経過)と時計がありました。
ブラームスは「ハイドンの主題による変奏曲」を作曲するなど、熱烈なハイドンファンだった人。
去年二台ピアノ版で弾きました。いい曲すぎます。
実はこのクラヴィコードは、もともとハイドンの所蔵品だったものがブラームスに受け継がれたんだとか。これは知らなかった…!作品だけでなく、形に残っているものでも繋がりが知れるってなんかいいよね。
そうした縁もあったおかげか、ブラームスのウィーンでの家が無くなる時に、家具もハイドンハウスに移され、今でも見ることができます。
ブラームスのインク入れと水筒…(オタク心を擽ぐる)
ウィーンにブラームス博物館はないのに、シュトラウスの家でもハイドンの家でもちょいちょい登場してくれるの嬉しいです。
ブラームス好き。
③シューベルトの生家と最期の家
シューベルトが生まれてから4歳まで暮らした家。
シューベルトはなんとキッチンで生まれたらしいです。当時としては普通なのかな?
シューベルトといえば、歌曲。魔王とかね、有名ですよね。
それまでの単純な伴奏ではなく、芸術的な伴奏をつけた最初の作品と言われている「糸を紡ぐグレートヒェン」、そして代表作「冬の旅」の楽譜もありました。
そして教科書でおなじみの。
ピアノはもちろん、ギターも持ってたみたいですよ、シューベルトさん。
生家にあるはずの眼鏡は、なんと日本に出張中らしく見れませんでした…。
シューベルトが死の数ヶ月前に引っ越した、最期の家。もともとはお兄さんの住居らしいです。
シューベルトの最期の手紙も展示されています…31歳で亡くなるなんて早すぎる。
④ベートーヴェン ハイリゲンシュタットの遺書の家
絶対行きたいと思っていた遺書の家。
1802年、聴力が次第に悪化していたベートーヴェンは療養のためにウィーン郊外のハイリゲンシュタットという街に移り住みました。
近くに温泉もあったり療養にはぴったりだったそう。
ここで「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれました。遺書、とあるけれど、実は決意表明のようなものです。弟たちに向けて書かれましたが、結局送られることはありませんでした。
元来人と話したりするのが大好きなベートーヴェンは聴力の悪化でそれができなくなってしまい(作曲には支障がなかったという説もあります)、絶望して危うく命を断とうとした、けれど「芸術」が引き戻してくれた、という内容。私が要約したらすごい薄っぺらい感じになっちゃったけれど、全文読んでみてください…本当に壮絶で、涙出ます。
ベートーヴェンの作品に取り組む時、私は必ずこの遺書を読み返すので、ここに来れて本当に、本当に感動しました…。
展示品の中には、耳用のホルン(補聴器のようなもの)や、ピアノの上に置いて音を聞こえやすくするプロンプターボックスもありました。
髪の毛…
コーヒーを飲むとき、60粒数えていたらしいベートーヴェン。
他には、当時作曲していたピアノソナタ第17番「テンペスト」の作曲の過程の展示、更にはより後年の第9や不滅の恋人への手紙に関する展示もありました。
「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた後、ベートーヴェンは傑作の森と呼ばれる時期に突入します。ハイリゲンシュタットがひとつの分岐点だったのかなぁ。
博物館は以前はあまり展示物がなかったそうですが、最近リニューアルされて盛りだくさんでした。
2時間くらいかけてゆっくりじっくり見ることができました…感無量。
ウィーン滞在、とても1度で書ききれないので、続きはまた次回書きます。
全然関係ないけれど、ドイツ語をがんばったおかげか、博物館での解説がほぼほぼ読めるようになって、ちょっと進歩を感じたくまおなのでした。
つづく
くまお、エレベーターに閉じ込められるの巻
くまおです。また連続投稿です。
ハイデルベルク城に登ったのは2日前、月曜だったのですが、その前日の日曜にトンデモ事件があったのをすっかり忘れていました。
くまおのアパート、リノベされているとはいえめちゃ古そう、っていうのは以前も書きましたが。
特にエレベーターが年代物でして、設置年が1950年代なんですよね。
イメージ湧かないと思いますが、ドアが手動なんですよ…!
動きもなんだかガッタンガッタンしてるので、重い荷物を持っている時以外は極力乗らないようにしていたんです。
(過去形からお察しくださいませ)
日曜、日本にいる友達と電話するため、5:30に起きたくまお。11:00からマンハイムの近郊の街で室内楽のコンサートがあり、それまでに電話して洗濯して朝ごはんを食べようと思っていたんです。
アパートの洗濯室は地下。しかもその週は忙しく、5日ぶりの洗濯でとにかく荷物が重かった!
ので、エレベーターを使ってしまったんです。
地下から住んでる階に行こうと階数ボタンを押した、が、動かない。反応がない。
扉も開かない😭😭
ひえ〜〜〜〜
日曜の朝っぱらからなんちゅう災難だ😭😭
(ドイツは日曜は基本的にみんな働かないし、午前中なんかもってのほか、という感じなのです)
とりあえず非常用ボタンを押して、ヘルプセンター的なところと連絡を取りました。まず担当が出てくれたことが奇跡な気がします。
「全部のボタン押したけど動かない〜〜扉も開かない〜〜どうすればいいの助けて〜〜」と思いつくドイツ語で叫んでたら、「すぐ行くから待っててね!」と言われたのですが。
その後折り返しの連絡で「30分以内」になり、30分後には「あと10分」と言われ、更に10分後には「もうちょっと、あと数分!」と言われ…(ドイツクオリティ)。
結局40分閉じ込められてました。
これがもし、旅行前だったら大変なことになってました…もう野暮用では使いません!!
結局コンサートには間に合ったものの、朝ごはんを食べ損ねて(5:30に起きてたのに!)、散々な日曜の朝でした。
写真はコンサート会場です。コンサートからはくまおの運気上昇で(当日券狙いで行ったら、売り場のおばちゃんがめちゃ割り引いてくれた)、穏やかな良い日曜でした。めでたしめでたし?
つづく
くまお、ハイデルベルク城に登るの巻
くまおです。
マンハイムは先週から冷え込みが激しく、学校まで歩く僅かな時間でも手がかじかみます。
10月から始まった秋学期も、今月末でおわりです。本当にあっという間だったなぁ……。
というわけで来週から、講義の筆記試験(Klausur クラウズーア)が目白押しで、人生初の落単の危機に怯える毎日です。
ドイツの大学は単位を取るのが本当に大変と聞いてはいましたが、本当に大変です(?日本語が変)。
私は楽器学、音楽史×2の3つの試験を抱えているのですが、これね、ほんと心が折れます。だって普通に音楽の知識を詰め込むに加えて、ドイツ語の試験を同時にやるようなもんですよ……。
しかも試験には電子辞書の持ち込みが不可能なのです!!外国人にやさしくない!!
このままでは問題文すら分からない可能性ある…!!と思い、先週、以前住んでいた下宿の大家さんに頼んで紙のドイツ語の辞書をお借りしてきました。
あの下宿、私にとってドイツの実家です……。
それに加え、月末に作曲科の初演があったり、伴奏を多く抱えすぎていたり、その他いろいろなことで心が荒みすぎたので、ストレス発散もかねてずっと行きたかったハイデルベルク城に登ってきました。くまおの父と母の思い出の場所らしいです。
ちなみにドイツ語でストレス発散はEntspannung (エンドシュパヌング)と言います。spannung は緊張、ストレスのこと。ent...をつけると、そこから離脱することを意味します。
ドイツ語のこういうところ、日本語の熟語に似ているので好きです。
ハイデルベルクの旧市街の中にあるKornmarkt(コルンマルクト)。そこの脇道を進むとケーブルカー乗り場と歩くコースがあります。
ちなみにくまお、先々週コルンマルクトのホールで演奏しました。
ケーブルカーで登った方が断然ラク(お金かかります)のですが、冬季休業中で4月にならないと動かないと言われ、結局歩くことに。
意外と急勾配だけど、思ったよりあっという間に登れます。15分くらいかな。
お城の城壁はこんなかんじ。くねくねしてて、雰囲気は姫路城です。
途中には砲台もありました。
お城のバルコニーに行くには入場券を買う必要が。学生だと4ユーロだったかな?忘れました。
バルコニーからの眺めはこんなかんじ。綺麗すぎて、荒んでた心が浄化〜〜!!
平日の夕方、氷点下の中ここまで来る物好きは少ないので、だ〜〜れもいませんでした。最高の贅沢。
お城は三十年戦争やプファルツ継承戦争、火事で破壊された痕があり、廃墟のようなところもありますが、中庭も美しかったです。
今回は入りませんでしたが、ドイツの薬事博物館(Deutsches Apotheken Museum)もありました。
[3/9追記]
先日入ってきました!
医療といえばドイツ。
薬の原料についての展示や
薬の歴史、
そして昔の薬局や研究所の様子が再現されていました。
ハイデルベルク城の入場券があれば、誰でも入ることができます。おすすめ!
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ハイデルベルク城で見逃せないのが、宮廷道化師・ペルケオ氏!!
中庭から地下に行ける道があり、ワイン樽の展示の側に佇んでおられます。酒飲みの宮廷道化師でワイン持って楽しそうなペルケオさん。
シーズン中は彼の姿を撮るのに長蛇の列らしいですが、だ〜れもいませんでした(2回目)。
ペルケオ氏の向かい側には世界最大級のワイン樽!
横にある階段を登っていくと樽の上にのることができます。樽には名前が付いており、カール・テオドール樽と言います。
カール・テオドール橋にも名を残すこのお方は、ハイデルベルクだけでなくマンハイムの隆盛に貢献した選帝侯であられます。
実は先週、マンハイム城も散歩したのですが、その時にもカール・テオドールの功績の展示がありました。
そちらも綺麗だったので、また記事に書けたらいいなぁ〜。
続く