くまお フォルテッシモ

ドイツの音大に突如現れた くまおの日記

くまお、ウィーン旅 その① 聖地巡礼 の巻

くまおです。

無事に(ではないかもしれないけれど)筆記試験を終え、学期休みに入りました!

そしてレッスンとコンサートのために、ウィーンに来ています。

 

一度は是非訪れたかったウィーン!

飛行機が苦手なくまおはマンハイムからはるばる7時間かけて電車でやってきました。


ウィーンでまずやりたかったこと、それは聖地巡礼!!

ウィーンには作曲家の住んだ家が点在しており、今では博物館になっています。レッスンと練習の合間を縫って6ヶ所巡ってきました。

学生割引がきくので大体のところは4€で入れるのが嬉しい限りです。


では長々とレポートします〜。

 

モーツァルトの家


モーツァルトが1784年から1787年まで住んでいた家。ウィーンで十数回引っ越したと言われていますが、現存する家はここのみ。

モーツァルトが住んだ家の中で、一番家賃が高かったそうです。

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モーツァルトとコンスタンツェの結婚式、そしてモーツァルトの葬儀が行われたシュテファン寺院の裏手にありました。

シュテファン寺院の中はこんな感じ。外は現在一部工事中でした。

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外には馬車が(道に落ちてたうんこ思いっきり踏みました💩もにゅっとした)。

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資料はほとんど全て写真撮影禁止…。

ここで書かれた「フィガロの結婚」や「魔笛」など、作品に関する展示や、それぞれの部屋が何に使われていたか等知ることができました。

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なんとモーツァルトは犬と小鳥をペットとして飼っていたらしいです。さらに家の中は子供達や客人でいつも賑やか、わいわいしてたそう。

静けさを求めていたショパンなんかとは対照的な気がしますね。

 

ヨハン・シュトラウスの家


ワルツ王・ヨハン シュトラウス2世が1863年から1870年まで妻と暮らした家。

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「美しき青きドナウ」を作曲したと言われており、自筆譜の展示もありました。

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また、使用していたピアノ(ベーゼンドルファー)とヴァイオリン(アマティ)も見られます。

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こじんまりした博物館ですが、資料がすこく多かった!楽譜、手紙の数々。

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シュトラウスは写真も多く残っています。結構イケメン。

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なんとブラームスと一緒に撮ったものも…!(ブラームスが亡くなる3年前のものです)

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本物はウィーン博物館所蔵で、レプリカですが絵画や彫刻もあります。ウィーンの人々に本当に愛されていたんだなぁとひしひしと感じました。

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朝イチで行って、1時間半くらいじっくり見てたんだけれど、私以外のお客さん来なくて笑うしかなかった…受付のおじさんと仲良くなりました。笑


ハイドンの家(と、ブラームスの家具)

 

ハイドンが亡くなるまでの12年間を過ごした家。

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オラトリオ「天地創造」や「四季」はここで作曲されました。「天地創造」は秋にドイツで聴いたなぁ。

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65歳でこの家に引っ越したハイドン

6:30に起床し、作曲をし、著名人の訪問に対応し…と規則正しい生活を送っていたようです。Tagesablauf (1日の経過)と時計がありました。

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ハイドンフォルテピアノ

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ブラームスは「ハイドンの主題による変奏曲」を作曲するなど、熱烈なハイドンファンだった人。

去年二台ピアノ版で弾きました。いい曲すぎます。

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実はこのクラヴィコードは、もともとハイドンの所蔵品だったものがブラームスに受け継がれたんだとか。これは知らなかった…!作品だけでなく、形に残っているものでも繋がりが知れるってなんかいいよね。


そうした縁もあったおかげか、ブラームスのウィーンでの家が無くなる時に、家具もハイドンハウスに移され、今でも見ることができます。

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ブラームスのインク入れと水筒…(オタク心を擽ぐる)

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ウィーンにブラームス博物館はないのに、シュトラウスの家でもハイドンの家でもちょいちょい登場してくれるの嬉しいです。

ブラームス好き。

 

シューベルトの生家と最期の家

 

シューベルトが生まれてから4歳まで暮らした家。

シューベルトはなんとキッチンで生まれたらしいです。当時としては普通なのかな?

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シューベルトといえば、歌曲。魔王とかね、有名ですよね。

それまでの単純な伴奏ではなく、芸術的な伴奏をつけた最初の作品と言われている「糸を紡ぐグレートヒェン」、そして代表作「冬の旅」の楽譜もありました。

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そして教科書でおなじみの。

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ピアノはもちろん、ギターも持ってたみたいですよ、シューベルトさん。

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生家にあるはずの眼鏡は、なんと日本に出張中らしく見れませんでした…。

 

シューベルトが死の数ヶ月前に引っ越した、最期の家。もともとはお兄さんの住居らしいです。

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シューベルトの最期の手紙も展示されています…31歳で亡くなるなんて早すぎる。

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ベートーヴェン ハイリゲンシュタットの遺書の家

 

絶対行きたいと思っていた遺書の家。

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1802年、聴力が次第に悪化していたベートーヴェンは療養のためにウィーン郊外のハイリゲンシュタットという街に移り住みました。

近くに温泉もあったり療養にはぴったりだったそう。

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ここで「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれました。遺書、とあるけれど、実は決意表明のようなものです。弟たちに向けて書かれましたが、結局送られることはありませんでした。

元来人と話したりするのが大好きなベートーヴェンは聴力の悪化でそれができなくなってしまい(作曲には支障がなかったという説もあります)、絶望して危うく命を断とうとした、けれど「芸術」が引き戻してくれた、という内容。私が要約したらすごい薄っぺらい感じになっちゃったけれど、全文読んでみてください…本当に壮絶で、涙出ます。

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ベートーヴェンの作品に取り組む時、私は必ずこの遺書を読み返すので、ここに来れて本当に、本当に感動しました…。

 

展示品の中には、耳用のホルン(補聴器のようなもの)や、ピアノの上に置いて音を聞こえやすくするプロンプターボックスもありました。

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髪の毛…

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コーヒーを飲むとき、60粒数えていたらしいベートーヴェン

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他には、当時作曲していたピアノソナタ第17番「テンペスト」の作曲の過程の展示、更にはより後年の第9や不滅の恋人への手紙に関する展示もありました。

「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた後、ベートーヴェンは傑作の森と呼ばれる時期に突入します。ハイリゲンシュタットがひとつの分岐点だったのかなぁ。

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博物館は以前はあまり展示物がなかったそうですが、最近リニューアルされて盛りだくさんでした。

2時間くらいかけてゆっくりじっくり見ることができました…感無量。

 

ウィーン滞在、とても1度で書ききれないので、続きはまた次回書きます。

 

全然関係ないけれど、ドイツ語をがんばったおかげか、博物館での解説がほぼほぼ読めるようになって、ちょっと進歩を感じたくまおなのでした。

 

 

つづく